2023.09.21

軽いノリから自己研磨へ。ピッチが駆り立てた森林イノベーションにかける熱く強い気持ち。

林業にイノベーションを起こすアトツギ:田島山業株式会社 田島大輔 氏

<この連載は…>

先代の経営資源を引き継ぎ、新たに独自の事業を立ち上げようと奮闘する後継者たちのアトツギ・ストーリー。後継者としての葛藤と、後継者だからこそできた挑戦の物語を伝える「アトツギ甲子園」と「ニホン継業バンク」のコラボレーション企画です。

取材・文:前田亜礼 写真:重松美佐 編集:中鶴果林(ココホレジャパン

鎌倉時代から続くフォレストオーナーとしての使命

田島山業が所有する日田杉の在来種ヤブクグリの森。樹齢60年の杉木立は一目見て管理が行き届いていることがわかる

大分県の西方にある日田市。かつては天領日田と呼ばれ、九州北部の交通の要所として栄えたこの地方は、市街を中心に四方を山々に囲まれた盆地が特徴で、古くから林業のまちとして知られるところ。この物語の主人公・田島大輔(たじま・だいすけ)さんが次代を継ぐ田島山業株式会社は、奥日田と呼ばれる山深い地域、中津江村の鯛生(たいお)にある。

田島家と森との関わりは鎌倉時代から。大分に伝わる古文書にその名が記されており、800年を超える営みが絶えることなく、脈々と続いてきたことになる。

「初代から何代目にあたるのかはちょっと不明ですが、父が株式会社を立ち上げてから35年、私が2代目になります」

そう話す大輔さんの印象は穏やかで、30代半ばながら、どっしりと根を張ったような落ち着きを感じさせる。

林業が盛んな日田市は、主に杉の産地として有名だ。日田杉は、屋久島の屋久杉、宮崎の飫肥(おび)杉と並んで九州三大美林として全国的に名を馳せてきた。

「田島山業では、約1,200ha(東京ドーム約255個分)の森を所有・管理し、植林から伐採まで行っています。伐採後、放置される山が国内各地に増えている現状の中、なんとか山を守って林業経営を回復させていきたいという思いで、山林の買取りや委託管理なども請け負っています」

さらっと話すが、その言葉には代々、山を守り続けてきた者としての重みが感じとれる。

赤字が続く林業経営と自然災害

2代目として統括本部長を務める田島大輔さん

「木を植え、育て、伐って、加工・販売し、そしてまた植える。林業のサイクルは、木を植えてから成長するまで50年単位の月日を要するんです」

続けて聞いたこの話も、都市で生活する者をはっとさせるものだった。自分が植林した木を膨大な時間をかけて育て、品質のよい木材に仕上げるために尽力しながら、いざ販売できるまでになった頃には子や孫など次世代に委ねることになる。そんな超ロングスパンの仕事を継ぐには、それなりの覚悟とビジョンが必要になってくるはずだ。

「だから、日本の林業は生産性が低く、手入れなどにかかるコストが賄えず、儲からないといわれます。携わる人たちの高齢化や離職も進んでいます。さらに、木材需要の低迷、安い外国産材との価格競争、台風による激甚災害など多くの困難と対峙しなければならない仕事です。これらが林業経営を黒字に変えることが難しいといわれる理由で、こうした構造的な問題が、山の荒廃から土砂崩れなどの災害を招く原因となり、社会問題や環境問題にもつながっています」

ターニングポイントは父の還暦

父親や山で働く人たちの仕事を見て育ち、「幼い頃から、山は遊び場だった」という大輔さんが、後継ぎになることを意識し出したのはいつ頃からだろう。

「山の現状を深く知るきっかけになったのは、1991年の台風被害の復旧作業からでした。あちこち木が倒れて、どうやって復興していくかというところで父が森林ボランティアを呼びかけ、それ以来30年にわたって、毎年2回の手入れをしてくれています。大人も子どもも一緒に活動に参加してもらうというもので、物心ついた頃には私も手作業で草刈りをして。それからだんだん山に入るようになっていきました。そうすると、生態系や水を守っているのは森の機能だと自然と知るようになるんですね」

そうした体験が礎となり、やがて慶應義塾大学の総合政策学部に進んだ大輔さん。在学中に森林の持つ価値について自ら深く学んだことが、本格的に家業の承継を意識するきっかけになったという。

「とはいえ、父から継いでほしいという言葉は特になくて。林業も広く見ると製造業なので、卒業後はグローバルにものづくりをしっかり行っている日本の会社がいいなと思い、ご縁をいただいたキヤノン株式会社に入社しました」

家業に入る転機になったのは、父親が還暦を迎えたとき。大輔さんは27歳だった。

「父の場合は、僕の祖父と曾祖父が立て続けに急死したときに戻ってきて、家業を継いだんですね。頼れる人がいなく、右も左もわからない中で苦労した話を聞いていたので、私は父から学ぶ決断を一方的にしました。父は『自分はまだまだ元気なのに林業という厳しい業界になんで戻ってくるんだ』と、大反対でした」

大学で学んだ社会問題、ビジネスデザイン、コミュニティ能力と解決法、そしてメーカーで学んだビジネス感覚。それらをいかして、家業を支え、林業が抱える難題に向き合っていこう。大輔さんの決心は固かった。

持続可能な森林経営のためにできること

2016年にUターンして家業に入り、今年で7年目を迎えた。加速する林業の衰退を前にして、前進するためには、人の意識を変えるような新しい林業改革の視点が必要と、大輔さんは持続可能な森林経営を実現するための打開策を考えるようになっていった。

そうした中、答えとして出てきたのは「森と人の関わりを取り戻し、深めていく」新規事業。そこで、2021年から展開してきたのが「みんなの森プロジェクト」という取り組みだ。

「父は、伐採した木を従前の原木市場だけでなく、こだわりを理解してもらえるパートナーに直接販売を拡大してきました。私が後継ぎとして家業にどう新しい風を吹き込めるか。時代に合わせて、森の価値そのものを見直し、炭素吸収・生態系保全・水源かん養(水の循環や流量調整等の役割があること)など多様な森の機能を再表現し、新たなビジネスパートナーを増やしていく。これが私の使命と捉えています。

『田島の森を、みんなの森へ』の思いのもと、パートナーの皆さんにとって最も身近な森になりたい。林業会社とはじめる、新しいコモンズの形が『みんなの森プロジェクト』です」

「アトツギ甲子園」は応援者を増やす、またとないチャンス

日頃から行政や企業による交流事業やイベントなどに積極的に参加し、アンテナを張っていた大輔さん。「アトツギ甲子園」のことを知ったのは、大分県庁主催の後継ぎ向け伴走支援プログラム「GUSH!」に参加したときだった。

「講師として来られた方が第2回アトツギ甲子園で優秀賞を受賞されていて。どんな形で申請したか、事業がどう展開していったかといった話を聞いたのが最初でした。そのときは、ピッチというものをやったこともなければ、そんな時間があるなら働く!と思ったんですよ。ですが、県庁の方やその場にいた一般社団法人ベンチャー型事業承継の方々からとりあえずエントリーしてみたらと薦められ、事業の感度も高まるし、メディアに出たらいいことあるかも…という軽いノリで申し込みました」

「資料のブラッシュアップを手伝ってもらえたことはとてもありがたかったですね」と話す

ピッチでのアピールの仕方や資料のブラッシュアップは、大会前に支援プログラムの事務局から紹介されたサポーターからの心強い伴走支援があり、安心できたそう。そして、地方大会を突破し、東京で開催される決勝大会へ進出。第3回決勝大会ファイナリストとして、「みんなの森プロジェクト」を全国にアピールすることができた。

「自分たちがどんな思いで林業経営をやってきて、そこに糸口となる新しい風をどういう形で入れれば問題が解決しそうか。そこにどう皆さんに関わってもらえたら変化が起こりうるか。4分という限られたピッチタイムの中で、どれだけインパクトを残して伝えられるかということに集中しました。まず田島山業のことを知ってもらうこと、それが何より大事だなって」

第3回「アトツギ甲子園」に出場したときのパネル

ピッチでは、日本政府が宣言した「2050年カーボンニュートラル実現」へ向けて田島山業がすでに取り組んでいるJ-クレジット制度*の活用による事業拡大や、そこから業界にイノベーションを起こすプランを発表した。ピッチでは、すっと入ってくる言葉選び、はっきりとした主張、真摯な思い、林業の困難を切り開いていく意志とビジョンがストレートに伝わるスピーチを堂々披露し、会場は大きな拍手で包まれた。

*CO2排出量をオフセット(相殺)するためにカーボンクレジットを購入すること。省エネルギー設備の導入や再生可能エネルギーの利用によるCO2等の排出削減量や、適切な森林管理によるCO2等の吸収量を「クレジット」として国が認証する制度(出典:https://japancredit.go.jp/

「でも、結果は入賞できなかったので『悔しい』の一言でした。出場するからには上位入賞を狙っていましたから。評価については審査員の方々によって開きがあって、新しい切り口で面白いと言ってくださった方もいれば、カーボンという目に見えないものが本当に売れるんだろうか、企業メリットがいまひとつわからないという厳しい意見もいただきました。

ただ、林業に携わる誰よりも先を行くことをやっている自負はあります。応援してくれた人たちは、『ちょっと時代が早すぎたってことだよ』って言ってくださって。現に、アトツギ甲子園に出た1年前と今の状況では、事業的にかなり進んでいると実感しています」

評価を冷静に受け止めながらも、悔しさを糧に根気強く前進する力に変えた。それだけでなく、他の出場者と出会えたことで刺激を受け、縁が生まれたという。

「後継ぎとしてどう自分を表現してるか、他の出場者たちのプレゼンはとても勉強になりました。アトツギ甲子園に出てから、話し方が的確になり、営業が以前よりうまくできるようになったと言われるようになりました。

それから、今も連絡を取り合える仲間ができたことは、大きな財産です。経営のこと、借金をどうするかとか、話を聞いていると自分の悩みなんてちっちゃいと思えるぐらいの問題をクリアしている人たちもいて。事業は全く異なる分野であっても、後継ぎとして抱える悩みって同じなんですよね」

また、決勝大会のアーカイブが残ることで、それを見た人から人へ、応援の輪が広がっていく影響も大きいという。生物多様性を専門とする大学の教授とつながってアカデミックな展開になるなど、「みんなの森プロジェクト」のサポーターも着実に増えている。

悩みややりがいを共有できる「アトツギたち」へエールを送る

「アトツギ甲子園への出場を考えている方には、目的を持って臨んでほしいです。新規事業の発信や、ブラッシュアップしたいと思っているものを見つけた上で、アトツギ甲子園という場の力を借りていく。そうすると、成長や成果を感じられたり、思いもしなかった方々とのご縁が広がったり、何かしらプラスになるんじゃないかなと感じます」

「アトツギ甲子園」に出場した経験は、大輔さんにとって林業が抱える問題解決へ向けた事業展開の意欲を掻き立て、それまで以上に揺るぎないものへと押し上げた。

インタビューの冒頭で感じたあの落ち着きの正体が、いまならわかる気がする。熱く溢れる強い気持ちをたくさんの人が見守るピッチで届け、再認識したからこそ自身の奥深くに落とし込めたもの。それはきっと、「この道を行く」「この手で林業にイノベーションを起こす」という、後継ぎとしての動じない生き方、覚悟の表れにちがいない。


田島山業株式会社

大分県日田市中津江村合瀬3573

ホームページ:https://tajimaforest.co.jp

第3回「アトツギ甲子園」決勝大会 田島大輔氏のピッチ動画はこちら

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